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由緒

 ふ  た  ご  じ  ん  じ  ゃ

   


御祭神  景行天皇、稲日太郎姫、大碓命、小碓命(日本武尊)
例祭日  五月四日、五日

由 緒

 馬ヶ岳山頂からは周防灘を一望できるため、古来治要の山として歴史に登場してきました。
古くは景行天皇が熊襲征討の折、この国の地形を見るために登られた山といわれています。
その後、天皇の命を受けて熊襲征討に向かう日本武尊もまた、父帝ゆかりの馬ヶ岳に立ち寄り、国見をされたと伝えられています。
            
 後年、景行天皇と皇后の稲日太郎姫、息子の小碓命(日本武尊)をしのんで、山頂に社を造ったのが二兒神社の起こりとされています。
(当時の社名は景行神社といわれています)

 天慶二年(九三九年)藤原純友の乱があり、源経基はその鎮圧のため馬ヶ岳山頂に城を築くこととなり、その際に山頂の社を東の麓の現鎮座地に移されました。
その後の城主でである源為頼公は常々信心が篤く、奥方が妊娠した際は、この二兒神社に祀られた稲日太郎姫の皇子は、大碓命と小碓命の双子であるため、必ず安産で良い子どもを授けてくれるであろうと、信心は一層深まりました。
ところが予定を過ぎても出産の兆しが見られなかったので、為頼公は重ねて一心に祈りました。

 何日か過ぎた夜、為頼公の夢枕に「明朝、神社に参拝し、社前の双子石に触れよ」とお告げがあったので、翌朝早く、為頼公は神社に参拝し、双子石に触れました。城に戻ると奥方のお産は始まり、何事もなかったかのような安産で男子が誕生しました。
為頼公は神社の霊威に驚き、社殿を建て直してお礼をし、大碓命も合祀して二兒神社と称するようになりました。

 以来、二兒神社は「安産の神様、二兒さま」として近郷の人々の 信仰を集めてきました。
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